2020年5月27日(木)
 明日は明日の風が吹く
 コロナウイルスのおかげで最近は1年前より随分と死後の視点が増えた。

 新聞の投稿欄に『パンデミック、オーバーシュート、クラスター、サーモグラフィ、ハンドソープ、クールビズなど、なぜわかりにくい専門用語を使い、昔からある日本語を使わないのだろう。日本語で十分に対応できるのに、どうして専門用語にするのかわからない。これでは美しい日本語文化が廃れてしまうし、事態の誤解が発生しかねない』と危惧する声も散見する。

 その話は分からなくもない。しかし、世の中は一秒も待たずに日々刻々と変化している。

 「十年ひと昔」と昔から言われるが、確かに十年が経過すると、いつの間にか気が付かない間に大きく変わってきているのに驚く。

 「風の音にぞおどろかれぬる」と昔、藤原敏行は言ったが、周囲を見渡せば、昔の音の「まわりの景色、人の考え方」が豹変しているのに気が付くだろう。

 自分が年をとってしまったということで、済ませればそれでよいのかもしれないが、新聞に投稿した人たちは、どうにかして日本語に修正しようとして抗っているのだろうと思う。

 それ自体はりっぱな日本人固有の精神の持ち主として大切しなければいけないと思う。
 しかし逆に、日本語が世界標準語になったのも多くある。

 「すし」「てんぷら」「刺身」「歌舞伎」「講(代表者がお金を集め、いざという時に低利で貸す銀行まがいの組織)」「てまがい(農繁期に助け合うこと)」「能」「サムライ」「切腹」・・・

 浅学菲才で最低な私でも瞬時にこのくらいは出てくる。語学者であれば限りなく出てくるのは想像に難くない。

 こうした言葉が平常化されている現状を彼らはどう説明するのだろうか。

 「これはこれ、あれはあれ、ごっちゃ混ぜにするな」と言って逃げるのだろうか。

 その昔、風邪のインフルエンザA型のことを流行性感冒『ソ連1型』と言っていた。何と長い名前だ。

 そして、消毒液は決まって「フェノール」(石炭酸)と医師は条件反射のように繰り返していた。薬局がほかになく、院内で処方していた頃の話である。
 これが時を経て、今のインフルエンザA型になったのだ。

当時はどこの医者もこんな長い名前を使っていた。そのうち、インフルエンザA型になり、今のようになったと記憶している。

 少し狂っているかもしれないが、経年劣化でかなり脳ミソが溶けかかっているので、お許し願いたい。
 その昔、平安時代の役人たちは、自宅の庭の中にしつらえた池の鯉のために、流れてくる水路に笹舟を浮かべ、その水路の傍らにどぶろくと短冊、筆を持って並んで座り、自分の前に笹舟が流れてくるまでに短歌を短冊に書き、皆に披露するという遊びをしていたらしい。

 すばらしく悠久の時が流れているのが感じられるが、今の私たちにそのような悠長なことをしている時間とお金は情けないことに1ミリも残されていない。
 日々毎日の暮らしに翻弄され、お金と時間の節約に白髪頭をこすっているのが実情だ。市民の中にも程度があって、極度に追い詰められて今夜の寝るところもないほどの深刻な人もいよう。

 しかし、私に限らず、現代人の7割以上は他人のことに頭を巡らせるほどの、余裕のある人は少ない。今は昔より何もかも厳しいのだ。

 自分のことは許せても、他人のミスは許せない人が増えている。世の中そんなに甘くない。間もなく梅雨による水害や台風のシーズンが来る。

 それは目の前なのに、未だコロナに毎日振り回されている。給付されるという10万円も未だ届きそうにない。政府だけをあてにしていたら自分の未来はない。自分のことは自分で何とかしないといけない。世の中は激しく変わり続けている。今日とあすは違うのだ。皆で知恵を出し合って、この国難をやっつけよう。

 今や既に温故知新とか良いリーダーに任せておくとかいう考え方は通用しない。各自で自分の血を絞り出すぐらいの覚悟で明日を考えないといけない。

 昔は、のほほんと楽に暮らしていけていたが、今の私たちは毎日が戦いだ。台風も毎年、その深刻さを増し、巨大地震もいつ来るかわからない。

 人によってレベルは違えど、生きていくということが、すでに何かと戦うということだ。私なんかに何ができるのかと逃げてはいけない。貴方にしかできないことが、貴方のために残されていることを知るべきだ。そして、それは貴方がしなければ誰もしてくれないものと悟るべきだ。

 やらなかったら明日も苦しい日が続くかもしれないが、今日それをしておけば、明日は明日の緑の輝く風が吹くかもしれない。
その時きっと、あなたはキラキラと光る眼で空を見ながら「ああ、生きてて良かった」と思うことだろう。