2020年9月26日(土)
青 春

 高校3年間の夏も終わった。運動部に所属していた生徒たちは、最後の試合がコロナウイルスのためにお流れになって、集大成ともいえる試合もできず、男子も女子も吹き出る汗を拭く気も失せ、やけくそとも思えるような練習をしている場面をNHKで放送していたが、やり場のない感情の昂りに不憫さを感じた。

 確かにかわいそうではある。だが、観点を変えると全部がそうとは思わない。

 3年間がすべて無駄になったのではないと思うし、3年間頑張れたのは、クラブが楽しかったからではないのか。苦しみの連続ならとうにやめていたはずだ。

 それを辞めなかったのは、辞めたくなかったからだろうし、強いて言えば日々が十分に充実していたはずだ。充実した3年間を送れたのは、本人の努力もあろうが、先生の努力も大きい。腹が立つほど悔しいのは先生の方ではないかと思う。

 などと無責任に言えるのは、私の高校時代は、前から2番目という背の低さと、後ろから連続1番という素晴らしい成績のお陰で、高校生活で後悔することも1つもなく、従って、失ったものも時間だけで、悲しいほどにやるせない思いなどほとんどない。

 しかし、3年間の放課後、図書室に毎日通い、哲学の本を主に蔵書のほとんどを読んだ。特に物事の本質を知る哲学は素晴らしく、70歳になった今の私にも多大な影響を与えている。

 しかし、こんな私にも眠れないほどの大好きな女性はいた。彼女は非常に美しく、上級生にも可愛がられていたし、同級生らにも引っ張りだこだった。

 だから、私みたいにうぶで奥手で引っ込み思案な者は、取り合ってもらえない。彼女の恋の相手は多いが、どの相手も他の女性の憧れの人である。それも2人か3人が同時進行だったりする。

 彼女はいつも大変忙しかったが、それでも時々失恋する。3年の間にそれを何度も繰り返した。

 日ごろからちやほやされ続けた人は、相手から振られると、そのショックは大変大きいらしく、予備の彼氏もいつでも2人、3人はいるのに、メンツを潰されたみたいで、激しく腹を立てた。

 そのたび、私を思い出してくると、私の心の中にズカズカ入って来て、棒で私の心をつつき回し、弄び、私がおろおろしているのをうすら笑いしていたら、また、次の恋が始まっている。

 ここで申し上げておかないといけないと思うのは、彼女は決してふしだらとか、みだらな人ではない。お父さんもお母さんも、ちゃんとした人で、2級下の妹もきちんとした人だった。

 浮いた噂はいつも切れ目なく流れていたが、それは美人過ぎる彼女のキャラであって、現代風に一言でいえば、芸能界のアイドル的存在だったからだ。

 彼女はテニス部に所属していた。テニスコートは図書館のすぐ前に3面あるが、いつも彼女は図書館の窓に近いコートでプレーしていた。私は図書館の窓から彼女の短いスカートの下から半分以上見える真っ白く光るまぶしいパンツを、毎日見ては喜んでいた。これが青春だと思った。これ以上もこれ以下もないと心に決めた。

 しかし、世の中というのは広いもので、こんな貧乏でバカな私を好きになってくれる女生徒もいたのだ。

 私の家はすごい貧乏なのだが、彼女の家はかなり裕福で、夏冬の連休の後などには、旅行に行ったときの写真などを持って来ては、私と顔を突き合わせて見せてくれた。弁当のおかずも彼女が再三くれた。私は日の丸弁当で、ご飯がほとんどなく、気の毒がるのも当然かもしれない。

 そのお返しとして私は彼女の好きな歌である、美川憲一の「柳瀬ブルース」を歌ってあげた。机を挟んで椅子に座っているが、頬杖して向き合っているので顔と顔の距離は近い。彼女のうっとりした目を見ながら歌うのである。

 時々「あーいいねえ、うまいねぇ」とか言って褒めてくれたりするが、そんなときの彼女の鼻と、私の鼻先の距離は3センチだったり、7センチだったり。同級生らは「あいつらは馬鹿だからほっとけ」とやっかみ半分で見捨てていたが、私には至福のひとときであった。歌を聞いた彼女のため息を私が全部吸い込むという感じだった。

 こんなことを毎日、放課後にやっていると、先のテニス部の彼女がチャチャを入れてくる。それが失恋した時と決まっていたので、余計に激しい。

 普通の人は失恋すると精神的に落ち込んで、当分の間は暗い日々...となるのだろうが、彼女の場合は慣れていて、3日以内に次の恋が始まるので、そうはならない。まったく心が傷ついた様子はない。

 こんな心のやり取りゲームの戦いを運動部ではない文芸部は毎日していたのだ。テニスボールも柳ケ瀬ブルースも大した違いはないと思っている。

 高校時代、心が太陽のように激しく燃えていたことにかわりはなかった。このもえたぎる心を忘れなければ、全国大会に勝ったことより、人生の結果はよくなる。

 昔からよく言われたことだが、「東大は通過点だ。卒業証書は人生に大した意味をなさない。要は東大を出ても死ぬまでに何をやったかが問題だ。必ず地図か、辞書か歴史の教科書に載るくらいのことをしないといけない。さもなければ、東大でない方が良い」というではないか。

 短い人生、他人を踏み台にして勝ち進み、1番になったとて優勝したとて、それで終われば意味はない。優勝したことで次に続く人を育てるとか、あり得ない優れた考え方を示すとか、優秀な人はそういうことに尽力してほしい。

 人を叩き落して上に上がる。この連勝ゲームには限界があり、存在の意味は少ない。

 アメリカの詩人であるサミエル・ウルマンは言う。
『青春とは、人生のある期間をいうのではなく、心の様相を言う。歳を重ねただけでは人生は老いない。理想を失った時に初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失ったとき、若い精神はしぼむ。人は信念と共に若く、疑念と共に老いていく。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる』
と。

 今、私は七十だが心は十七と思っている。やはり私はクラスでいまだに成績がビリなのかなぁ?

 でも、最低のビリでもいいや。同級生の中で今でも真っ赤に激しく燃える太陽のように青春しているのはどうやら私だけみたいだから・・・。人生は楽しい!本当に幸せだ。