人生の坂道には上り坂と下り坂があるが、たまに『ま坂』という坂があり、油断していたら、その『ま坂』に落ちることがある。坂から落ちた人のことを敬語で「真坂様」(真っ逆さま)と言い、転落の一途をたどるかわいそうな人生を歩む人を意味する。
未成仏の霊に取りつかれて居たり、どうにもならない理由(わけ)があって、反社会的な場所や不遇の場所などに、余儀なく身を置かざるを得ない人だってこの世には多くいるが、こういう人が「ま坂」に落ちやすい。
しかし、真っ逆さまの人だって、反社会的な場所に居る人だって、死んだら、お釈迦様がわざわざ好んで優先的に救ってくれる。そのことがお経の中に「極重悪人唯称仏」(ごくあくにんゆいしょうぶつ)=悪いやつほど早く成仏できる=として書いてある。
私は心臓を取りだし、まな板の上でスイカのように心臓を二つに割り、弁を取り換える大手術をやった。10時間ばかり心肺停止で死んでいたが、その間も脳や肺は機械によって少し動いていたので正式にちゃんと死んだわけではなく、医者が手術をしている間、死にかけで、天国や地獄の景色を夢の中で放浪してみてきたというだけで、ほんとは未だ一回もきちんと死んだことがないので、よく判らないのだが、親鸞という偉いお坊さんが昔にそう言ったそうだから本当だろう。
しかし、この親鸞さんも活動している間は多分死んだことはないはずだから、今までの宗教界の常識を覆して嫁さんをもらったり、酒も肉も食べたそうだから私みたいなボンクラ梵夫にはよく判らない。
私の店に来る中国人のお客さんの話によると、中国の坊さんは昔から結婚は国から認められておらず、魚も酒も基本的には禁止だそうだから大変だ。
その代わり、身分や給料などが手厚く保証されているらしく、坊さんの成り手に事欠かないそうだ。しかし坊さんも人の子、我が国の坊さん同様、煩悩も多く所有しておられるはずだから、酒は禁止と言われていても、規則を完璧に守るのは大変みたいで、「般若湯」という、酒によく似た健康のための薬用の水(百薬の長)を毎日欠かさず薬にしては多めに飲んでいたようだから、これもまたよく判らない
中国の話のついでに、中国には神社がほとんどないそうだ。中国の人に話を聞くと、中国ではお寺しか見たことがなく、神社はひとつもないだろうという。
日本では、神様も仏さまもキリスト様も、その他いろいろなものに神様や霊が宿り、八百万の神を形成している。しかもどれも本物で偽物やいかさまは非常に少なく、たとえあったとしても変なことをしている宗教は、教祖を狂乱罪と称して、警察が逮捕するので、長続きしない。オウム真理教がそうだったが、あの教祖も幹部一同も処刑されたと聞いている。
しかし、世界中の有名宗教の教祖達も、存命中は酷い迫害をうけたり、幽閉されたりして大変だったと教わった。
「神も仏もあるものか」という言葉をよく耳にする。不遇にもレベルの低い生活をしている人たちは、この言葉をよく口にする。
何をやっても上手くいかないので、やけくそになって頼るものがないときに言うのだろうが、世の中、案外捨てたものではない。
昔から言うではないか、お天道様が見て居てござるとか、神様は夜でも誰も居なくても、たとえ雨が降る真夜中であっても、きっちりと上から見ていて、台帳に記録しておられる。そして本人が死んだとき、その台帳を閻魔大王に見せ、生前の悪行等を報告して、その人が地獄行きか、天国行きか決めるなどという話を聞いたことがある。この話も聞いた話で情けないが、閻魔大王は私の友人ではないし、お目にかかったことが未だないので、定かではない。
世界中の神様などはもともと、ほとんどが太陽であったり、星であったり、海や大地や水であったりで、古代の生活の様子が、洞窟の絵画などに描かれていることが多い。牛や魚などいろんなものが洞窟には書かれているが、生活を豊かにするために大切なものであったのだろう。
自分が幸せになるにはどうすれば良いか。一番早いのは神様を味方にしないといけない。神様と仲良くなるためにはどうすればよいだろう。
間違っても正月に神社に行き、5円玉をさい銭箱に投げ込んで、「これにて今年は問題なく、神様が素晴らしい一年を約束して下さるだろう」と思っていたら、多分それは違うと思う。
初もうでは一つのけじめや感謝、人生のふしめで形としてやっているわけで、5円では買収される神さまでは心もとない。
本物の神様は金が要らないし、皆さんも神様には宝くじくらいしか期待していないだろう。神様と仲良くなるためにはまず、神様が嫌がることは絶対しないで、神様が居心地が良くなる行動を続けていればよいのではないかと思う。
神様の気分が良くなることとは何か。不確かではあるが、私の70年の経験から言えば、すべての人や物を平等に愛し、人や物にやさしく、裏表のない思考と行動で、なおかつ近くの人を幸せにする努力を、切れ目なくやっていたら、神様は居心地がよかろうから、そのうち、すみついてしまって、そうこうするうちに運勢まで良くなっていくと思ったりする。
心の中に神様が住みついてしまっていたら、悪魔や未成仏霊が取りつく隙間はなく、みんな逃げて行く。そうすればやがて幸せになっていくのではないだろうか。違うだろうか。
亡くなった家内の話だが、私が誕生日に「何かプレゼントをくれ」と言ったら
「あなたに誕生日と言って五千円あげるより、あなたは私が喜んでいる顔を眺めながら酒でも飲んでいる方がうれしいでしょう。違う?違わないでしょ?
なら今すぐ私に一万円ちょうだい。そうすれば明日の朝まで私の機嫌がいいから、あなたは幸せになる。そのほうが得よ」と言ってまんまと一万円まき上げられたことが何回もある。
今となってはそのことをだまされたと後悔していないし、むしろ楽しい思い出である。
これも日本人らしく神さまをうまく利用している方法でこれを繰り返していたら夫婦の仲が良くなり、何もかもうまくいく。
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