酒と婦長
無類の酒好きの私が酒を呑んでいた時は会社が休みの日なんかは四六時中呑んでいた。それこそ朝から飲むのである。朝寝、朝酒、朝湯が大好きで身上をつぶしたとされる小原庄助さんでなくても朝呑む酒はうまい。酒嫌いにはわかってもらえないことだが、仕事が終わってのビールもまた格別だが、朝の酒は麻薬のような味がしてたまらなくうまい。健康によい訳がないので女房は激しく文句を言う。しかしそれでも隠れて呑む。これが又非常にうまい。朝から飲むから当然朝から酔っている。これもまた至福の喜びと思うがいつまでも長くは持たない。やがて内臓を壊すに決まっている。考えてみなくても分かる事だが朝から夜まで胃がアルコールに浸かっていて良い訳がない。胃は年をとると内壁の皮が厚くなって頑丈になるのだろうか、何回もやった胃潰瘍は最近はしなくなった。代わりに膵臓炎をやってしまった。膵臓は非常に小さい臓器だから酒などの飲みすぎで休み無く働くとすぐにオーバーヒートしてしまうのである。焼きついてしまった膵臓はもう二度と元には戻らない。衰弱したままだ。だから余裕が無いので二回目、三回目等は発症しやすい。ちょっと無理をしたらすぐに併発する。しかしそれも三回までだそうだ。四回目は病院から自力で歩いて帰れないそうである。思えば肝臓炎でなくてよかったとか思ったりした。(肝臓炎の人はすぐに死ぬからなぁ)未だ神様が生かしてくださるのだろう。きっとこの世にしなければならいことが未だ残っているのかもしれない。膵炎は猛烈に痛いのですぐに市内の病院に入院してしまった。その病院の婦長は45歳くらいのかなり美しい女性で愛と慈悲に満ちた優しい目をしていたがそれは目だけではなくてほんとにそれ以上の深い心で接してくれた。こんな人を女房にしたら男冥利に尽きるだろうなぁと思っていたから彼女が言う事をずうっときいていると時々おやっ?と思う事を言う。営業言葉や営業スマイルがあるのだろう。(看護婦の仕事は営業ではないと思うが)それによって私は舞い上がっていた事を知らされた。あの美しい優しい婦長だって家に帰れば旦那にはかなりきびしい事を言うそうだ。いつもかつも良い顔ばかりもしてはおれないのだろう。そりゃあそうだ。彼女だって神様じゃないし、底抜けの優しさなんて有るわけないし、有ったとしてもそれは面白くない。女房とああじゃない、こうじゃないとやりあって何十年と暮らす。このやりあう事に意義があるのじゃないかと思う。頭の良い女は話をしていて面白い。この婦長が正にそうであった。話をしていて楽しいという事もあるのだがこの人と話していると心に思った事をそのまま喋ってはいけない様な気がする人だった。慈悲深い人だから何を喋っても馬鹿にするような事は決して言わないが心に思ったら5秒以上考えてから発言しなければいけないと思うようになる人だった。不思議な人だ。したがって話の内容はばかげたはなしのことはめったにない。話術を戦わすと言うのがぴったしの話し合い手であった。さすがに婦長になるだけのことはあると納得できる人だった。女にしておくのがもったいないような女性だった。毎日巡回でやってくる彼女と今日はなにを話し掛けてやろうかと朝から悶々と考える事も良くあった。彼女と話をする事はそんなに楽しかった。若い看護婦たちも良く慕っていたし、主任クラスにもかなり信頼されているみたいだった。ご主人の事も良く話していた。団塊の世代だから生まれつき心が貧しく見返りがないと何事にも本気に成れないなど心の奥を見透かされていたのか、そのあたりをよく言われた。しかし好んでではないけれど戦後の貧しい世相を反映して団塊の世代に生まれた私たちとしたら言われるとおりだったので恥ずかしいがそのまま聞いていた。酒をやめるために野菜を作って出荷しろとも言っていた。奥さんを連れて魚釣りに行けとも言っていたがこれらもやはり暇さえあれば酒を呑もうとするのを防ぐ為だったのだろう。酒は健康に非常に悪い。酒はタバコと違って百薬の長なんて言われているけど私に言わせれば百害の長ぐらいのものである。養命酒以外の酒はみだりに呑むものではない。命が無くなってからではおそい。ユメユメこのことはわすれまいぞ。