コラム

52      大泥棒

昔、江戸時代、石川五右衛門という大泥棒がいた。実在したらしいのだが会って話したこともないし、文献で調べた事なので良く分からない。逸話がいくつかあって、分かっているのはあの大泥棒は豪商の金蔵から盗み出した小判を治療もろくに受けられないで困っている長屋の貧乏人に仕事帰り(?)に配って歩いていたそうだ。

自分の家には小判を一枚も持って帰らずに。これをもって私の親父はあいつは大泥棒だが義賊なので最後は釜ゆでの刑になったが視点を変えれば世の為、人の為に、豪商の金蔵に眠っていた金を世間にばらまいたのだからそれなりの経済効果はあったのではないだろうか。だから褒められてしかるべきだが一応泥棒だから勲章をやる分けにはいかないけれどせめて島流し位にしておけばよかったのになどと言っていた。

死んだ親父は大工職人だったが毎日大酒を飲むため、いつも貧しかったからか当時多少、赤(今はないが当時は大日本産共党という少し激しい政策を唱える政党があった。)のようなことを口走っているようなことがあったから母はいつも警察の近くはよけて通っていた。戦時中だったら逮捕されていたかもしれないが陸軍の火薬庫の番兵とは言え一応兵役は済ましていたので何も臆することなく平気で子供の私が聞いてもどうもおかしいと思われることを誰彼なしに言っていた。

何回も聞かされたのは「あの戦争は最初から負けるのが分かっていた。始め、山本五十六がハワイで成功したから軍部が舞い上がり多くの国民を巻き込んで被害が拡大した。あの大きなアメリカに勝てる分けがないし、何かが間違って勝ったとしても遠いアメリカが完全に植民地化出来るわけもなく、やる前から負けるのが分かっている戦争だったから第一線には志願しなかった。火薬庫の番兵と言うのは地味な仕事だが戦時中だからいつ大爆発するか分からない非常に危険な持ち場だ。しかしわしが守る火薬庫がどうにかなるころには戦争の勝敗のかたは付いていると思ったので火薬庫の番兵を志願したのだ」などと不謹慎なことを時々酔った時に話していた。

長引く貧乏は心情まで浸食されるものらしい。いつも所持金が少ないというのは言動までも左右するから困ったものだ。貧乏は恥ずかしいことではないと思うのだが何かと窮屈だ。思うようにならない。子供の教育にしても家内などは父親から人のものを盗んだら閻魔大王に舌を抜かれるとか、石川五右衛門のごとく釜ゆでの刑に成るぞと聞かされて育ったから曲がったことが大嫌いで貧しくてもいいから王道を歩いていかないといけないといつも聞かされていた。

これが当たり前なのだが私の場合、幼いころから変な教育をされて来たからやることなす事なんでもぎりぎりのとこまでやり、法を犯さなければ少々、結果さえよければプロセスはどうでも良いのだなどと思ってやってきたから家内とたまにぶつかることも有った。この話でぶつかったのは石川五右衛門が釜ゆでの刑になる時自分の子供も一緒に茹でられたわけだが親子で釜に入っていて最初は未だ釜の水温が低いうちは五右衛門はわが子を自分の頭の上に持ち上げ、熱さを避けていたがやがて水温がどんどん上がってくると頭の上にあげていたわが子を胸にまで下げて抱きしめ、しまいには水温が上がって耐えられなくなると抱きかかえていたわが子を尻の下に敷いてしまった。と言うところまで話が来ると家内などはどこの親でも我が子は死んでも守るものだからそんなことはあり得ない。

五右衛門もいっぱしの悪党ならそれなりのポリシーをもっていただろうからその辺は一流の泥棒としてのステータスが有るはずよ。親とはそういうものだなどと言っていた。どうせ二人とも釜で、茹であがるわけだから死ぬのだけれど、親の教育がなってないと五右衛門みたいな不届きものが出来上がるのですと家内は言っていた。私の親父が言わんとした事とは少し違うとも思ったが言いだしたら女の方が強いのでいつも私が矛を先に収めていた。

又、五右衛門が釜ゆでにされる日、群衆が多数見に来るだろうけれども時の奉行である大岡越前は刑の執行前日に五右衛門を呼び出し、「お前が義賊であると信じている民がかなりいる。こたびの量刑に反対の者も沢山おるようだ。刑場の警備は厳重にするが騒ぐ者が出るだろう。当代きっての大泥棒だから死ぬ時もきっと格好良く、皆の衆の心に残るような立派な死に方をするのではないかと期待して見に来るかもしれない。特に子供たちがそのように思っているようだ。

しかし大衆の羨望の中で死んでくれたらお前に続くものが現れるかもしれない。奉行としてはこういう事はどうしても避けたいところだ、そこで相談だが死ぬ前はできるだけ大声を出して泣き叫びながらみじめな死に方を皆の前にさらし、義賊であっても所詮は泥棒であってこんな事は計算に会わない馬鹿げたことだと皆に分かるように死んで行ってもらいたい。なぁ五右衛門よ、やってくれないか」の越前の話に五右衛門は馬鹿にしたように笑っていたと言う。

だが五右衛門は皆が期待していたような死に方はしなかった。越前の言う事を聞いたのかどうか定かではないが少なくともあとに続く泥棒は出なかった。しかし時世と称して一句詠んだ「石川や、浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」五右衛門から300年、犯罪は減るどころか増える一方で越前は黄泉の国で嘆いているに違いないが、いまではねずみ講など犯罪も巧妙かつ高額化して被害が何千億と言うのも出てきているほど世は千路に乱れているが義賊と言うのは最近では聞いた事が無い。昔の泥棒にはポリシーだけでなく愛があったもかのしれない。

古い話はよく聞いてみないと分からないが大岡越前と石川五右衛門の生誕日は100年くらい離れているようだから両者が接触したと言うのもどうも怪しい。まぁ当時は住民基本台帳が無かっただろうから完全に把握されていなかったのだろう。後になったら講談師等が面白おかしく編集するからほんとのことはよく分からない。

2020年オリンピックが招致出来たのはとても良いがセキュリティの会社の株がストップ高になるようではわが日本の治安は世界ではとても良いと言われているらしいけど現実はすべての事がまだまだ後手後手に回っていると言われても仕方有るまい。つい最近まで日出ずる国、我が日本帝国では安全と水はタダと言われていたのはどの総理の時だったかなぁ、嘆かわしいが今はコンビニで水を買うようになった。安全は自分で保険を掛けるなどして自己責任でお願いしますなんてことが,ヤクザの世界でなく一般の人が口にしだしたのはいつだっけ?

 

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