コラム

92 水掛け論

車と車がぶつかって車体が凹む瞬間なんて、0.15秒以下の非常に短い時間だ。まばたきをしていたら見逃すほど短い時間だ。だから事故の瞬間を目撃していた人がいたとしても、さほど信憑性があるとは思えない、、、、、、、

というのが専門職に携わる人たちの一般的な見解であるが、そうはいってもまるで目撃者を信用していない訳ではない。目撃者のお陰で、分けの分からないことを言っていた加害者が静かになった、と言うのはよくある話である。

示談交渉でネックになっているのが事故に至る経過の相違だ。たとえば衝突までのスピードが倍くらい相手と自分とでは主張が違っていたり、また一本道の出会い頭の衝突の場合で「私は10秒位前から止まって待っていた」と言うと、相手は「いや!あれは衝突して停車したんじゃないか。止まって待っていたんじゃない!」といって目を三角にしてなじりあっている。

他にセンターラインのない田舎道などで相手が異常に右側によってきた為にぶつかったというのも、よく争われる。昔の日本人なら、(やまとなでしこが多くいたころ)なかった事だろうなぁーと思う事でも、今頃の、特に強いオバサンは黄色い声を出して一歩も譲らないのがいる。

この衝突まえの運転状態が過失割合を出すのに密接に影響してくる事が皆よく分かっているので展開を優位にさせようとする為か、プライドの為か、あらそいは大変である。いつまでも事故に至る状況が食い違っていたら、過失割合が出ないので現場検証をする必要がある(統一見解をだす)。

事故の当事者二人とそれぞれの保険会社の調査人の計四人でやるのだか、この現場検証をやる事によってかなり、事故の流れに対する見解が統一されるわけだが、それでもやっぱり納得しない人がいる。

事故直後の警官の問審捜査の問いかけに答えていたのとまったく違うことを平気でいつまでもうそぶく人たちもいる。そういう人たちはきっとやくざっぽい人たちか、そうでなければ生活に困っているホームレスみたいな低所得者層ぐらいであろうと読者は推察するかもしれない。

ところがそれがそうばかりでもないのだ。信じられないような話なのだが、きちんとした職についている知識階級の間に多いのも不思議な事実だ。事実と違う事をいつまでも言っていてもしょうがないと思うのだが(裁判になったらイチコロだ)大の大人がガンとして譲らない。

こんな時目撃者がいたら割りと簡単に折れるものだが、しかし中には目撃者がいても折れない人がいる。目撃者と言っても強く追求しているといつのまにか引いてしまって逃げてしまう目撃者もいる。メリットもないのに変な事にかかわり合いになるのを嫌がるのが原因だろう。

この辺で弁護士が介入してくる事がよくある。裁判になりかかるのは結構多いことだ。しかしほんとに本裁判になった例は私のお客さんには未だいない。調停は何回かやった。大体が過失割合などであった。最近法律が変わったのでやりやすくなった小額訴訟も、一日で終わるのでよく利用される。

双方の治療代や車の修理代が高すぎるとかで、もめた事はすくない。これはその都度、調査人たちが調査を入れているためと、総金額が少ないためと、保険のシステムが発達したためだろう。

尤も「あんなやつに使うのならもっと安い薬でよかったのに」とか、「中古部品でも上等なのに」とか、もろに口に出す人もいる。ぐちゃぐちゃになった案件で解決のために保険会社がよくやる方法はおおきく分けて二つある。

一つ目は当事者を扇動して調停に持ち込む事だ。これは後になって「保険会社はなにもしてくれなかった」と言われるのを防ぐ為だ。良くも悪くも、とりあえず解決に近ずく。

もうひとつは(事故状況がはっきりしないのにおかしなことだが)「双方中折れで五分五分でどうですか?」などと適当なことを言ったりする。この五分五分と言うのがよく出来たしろ物で

(本来なら相手の被害を半分見てあげて自分の被害を半分払ってもらうというのが正当な五分五分だが)こじれた関係者同士は相手に保険は使わず、相手に払うべき対物保険金を自分に貰う、、、、。

だから割と話に乗りやすい。この話に乗り損ねてしまったら保険会社は「それでは割合が決まったら教えてくださいね。保険金をお支払いしますから」などと言って引き上げてしまいそうなジェスチャーをする。

当事者二人だけなら又、水掛け論に逆戻りがまちがいないから、いやでも五分五分で納得せざるをえない。この話にも乗りそこねてしまった当事者はやがて2年後に時効を迎える。

そして時間という名裁判官の裁きに全員が従い、すべてが終わる、、、、、、、、、、、、、、、。

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