コラム
 
98 あぶない友人

今頃、昔、流行ったGS(グループサウンズ)がリバイバルブームに乗って又流行りだした。当時の歌を聴いていると熱い血がよみがえってくる。

あのころ必死で思いを寄せていた可愛いいあの娘はどこへいったのだろう。朝まで一緒に飲んでいたあいつも元気だろうか(外人バーでバーテンダーをしていた)。

そういえばあいつ(こんなことをここで書いちゃって良いのかどうか知らないけど―――もう時効だろうから言っちゃえ)変なことを言っていたな。「なーひろみちゃん、頼みがあるんだが、、、、」「なんだい、、、、、、金ならないぞ」

「ピストルを買ってくれないかな」「ピストル?なんだそれ、、、モデルガンか?」「いや、本物だ、ベトナムで使ったやつだ。新品じゃないんだが弾はいくらでもあるからさ、、、」「拳銃ねぇ、、、、うーん、

例えばそんなもの買って俺,何につかうんだ?」「頼むよ俺、金がいるんだ」「金がいるってお前、、、」「ピストルがきらいなら手榴弾も何個かあるんだが、それでもいいんだけどなー、なあ頼むよ」「てっ、手りゅう弾?」「5万円でいいんだ、なあ頼むよ」

「手りゅう弾もいらないよ俺、3万でよかったら貸してやるぜ、だからそんなもん売るな」「いや金がいるのは俺じゃないんだ、外人の友達がどうしても金がいるから何とかしてくれ言って持って来たんだ」

「持ってきたって、、、今持っているのか?」「今はないけどアパートにある」「そんなもん、かえしてしまえよ、、、」といって私はピストルも手りゅう弾も買わなかった。

その後一般家庭で手榴弾が爆発したって話は聞かなかったからきっと外人に返したのかもしれない。もっとも隣の県ではヤクザの抗争が激しくて年中ダイナマイトや拳銃の類でドンパチやっていたからそっちに流れていったのかも知れない。

でもその友達も今ではカラオケバーのマスターでおさまっているから何事もなかったんだろうなぁ。

また、あの頃は変なものが流行していた。エイズはまだなかったけど夜の街には梅毒や淋病が激しく充満していた。友人に誘われては割りとおおらかな気持ちで変な遊びを平気でしていたが、これらには当時クロマイとか言っていたけど良い薬があった。

その証拠に友人たちもいまだにまだ鼻はもげてはいないし、髪の毛もちゃんとある。外人がたくさんいたから喧嘩などいつも事件が起きていた。(喧嘩の原因は言葉が通じないということだけではなかった)

米軍基地周辺では夕方になるとパンパンがたくさん出没した。風紀も治安もかなり悪かったと記憶している。あの頃のアメリカ兵の車はほとんどが保険がかかっておらず、

(いまはほぼ全車保険がかかっており、むしろ無責任な保険もかけてない日本人車が15パーセントもいるのが恥ずかしいくらいだ)金もあまり持っていなかったから事故があったら大変だった。

弁償してくれないから仕方ないので裁判所に行った人がいたが裁判官は取り合ってもくれず「日本は戦争に負けたんだから仕方ないでしょう」とか言われておいかえされたときいた。

先ごろアメリカのブッシュ大統領が北朝鮮を指して悪の枢軸と言ったとかニュースでやっていたが、いざこざが起きなければいいがと思っている。

近くで戦争などが始まったらまたぞろ治安が悪くなってくるし、さっきの話じゃないけど金に困った外人が変なものを基地から持ち出してきてヤクザなどに売るなら未だしも、余った物を民間人に売ったりするからだ。

 
 
 

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