コラム

 

 

56 日々流れる自治会長

新聞のローカル版に載っていたが何回投票しても決まらない自治会長にとうとう業を煮やし、自分から志願して自治会長になったと書いてあった。

 

そして、なったからには一生懸命努力して一年後の退役時には後悔のないようにしたいとも書いてあった。実は私もこの4月1日付けで拝命した新米の自治会長である。

 

思えば7年前、何回か推薦投票を重ねるうちにあろうことか圧倒的多数の推薦投票が私に集中してしまったのだが当時の私は自宅を新築したばかりで気の遠くなるようなローンにあえいでいた。

 

おまけに上の子は大学入試、下の子は高校入試、工場の売り上げは下降の一途をたどっていて、ほんとの所、それどころではなかった。

 

しかしいくら話し合っても決まらないから頭にきていたこの地区の自治会の人たちは「選挙で決まったのだから絶対にひきうけてやってもらわないといけない!! 」と言って一歩も譲らなかった。

 

会議に出席していた家内は泣き泣き窮状を訴えたが頑として聞き入れてはもらえなかった。話し合いをし尽くした末、膠着状態が続き、その結果家内が出した条件は「この次の7年後には必ず引き受けるので今回はどうしても勘弁してほしい」ということだった。

 

(この自治会には7班があり交代でやっているので7年後には又、この班に会長の当番が来る)。そうしたら得票2番手の人が「そういうことなら今回は私がやろう。どうせ遅いか早いかだけだ。

 

どこまでできるか分からないけれど、とにかくやれるだけやってみよう」ということになりそういうわけで1年交代を条件にではあるがその人に全会一致で余りにも簡単に決着した。自分以外のだれかがやってくれればそれでいいのである。

 

そんなことがあってから7年目の今年、約束どうりではあるがこんな私が自治会長になってしまったのだ。就任してすぐに役員会議を開いた。140世帯を肩に担っているのだからと、がらにもなく気持ちを引き締めてやった。

 

横にいる福会長さんはちょうど10歳年上の人だったが献身的に何でもこなしてくださり、非常に役に立つ人で私は大変助かった。7人の班長さんは皆まじめそうなひとばかりで冷やかしたり冗談を言うような人は一人もいなかった。

 

このようなチーム構成なら自治会長職は多分何とか一年間勤め上げられるような気がしてきた。後日昨年の年間行事予定表を見ていたら今月の欄の所に自治会費の集金と賛助会員の

 

(この地区は商店街があるのでその商店主には賛助会員になってもらっている)集金をするようになっている。そのことについては去年の会長さんはしきりに言っていた。

 

「私はこの歳になるまでこんな惨めな思いをしたことはない。情けなくて情けなくて涙が出て来た。ものもらいは私には適してない。こんなことはもう二度としたくない。

 

絶対にいやだ。」と、こんなことをおっしゃっていたが私自身は自営業者であるためかお客様からお金をいただくことに変なトラウマはない。

 

従ってお金を払う人に頭を下げることには慣れているし、お金をいただいたらうれしそうな顔をするのも当たり前だと思っている。終生サラリーマンであった前会長とは境遇が違うのである。

 

だから私は賛助会費の集金に回ってもみじめだとか、情けないとか思ったことはなかったが、それが前会長のカンに触ったのか「ひろみさん、あんた来年もおやりなさいよ」と怒った顔で言っていた。

 

思い出すだけでも怒り心頭であったのかもしれない。順番で自治会長をやっているとは言え、このプライドの高い人には少し無理があり可哀想だったかな?とも思った。

 

就任以来2ヶ月を経過した今、精神的にも大分落ち着いてきた。それと同時に自分が折角、自治会長をしているのだからこの際、任期中に何か自分の足跡を残して置きたくなってきた。

 

いろいろ考えたのだが自宅より500メートル川上によく事故のおきる交差点がある。ここを何とかしたいと思い始めた。前からお客さんとの話でよく話題に上る魔の交差点である。道路が狭いのでスピードが出ていないせいか、おおきな死亡事故などはおきたことはないのだが、車同士の小さい接触事故が後を絶たない。

 

車とぶつかった時の反動ですぐ横の民家に飛び込むことが再々あり、そこのフェンスはぐちゃぐちゃに壊れていた。話を聞きにその家に行ったら「車ごと飛び込んできた人たちは壊したままでそのまま放置していくし、いくら直してもすぐ又壊されるので、そのたびに直していたらきりがないのですぐには直さない。

 

毎年正月前になったら綺麗に直します」と言うことだった。だからいつもフェンスは壊れたままになっているのだ。ここの交差点を事故のない普通の交差点にしたいと思った。どうしたら事故は減るか、、、、、いろいろ考えたがよくわからないので現場に行ってみた。

 

30分くらい現場に立って車の流れを見ていたら最終的には道路幅が狭いから事故がおきることがわかった。解決方法としたら道路を少し広げればいいことなのだ。道路を広げるにはどうしたらいいだろうと考えた。

 

横の家の人に土地を提供する意思はあるかどうか聞いてみた。すると「以前1メートル提供しているのでもうこれ以上嫌だ」と言う。残るは反対側の川幅をいじるしかない。

 

市役所の河川課に聞いてみたら「氾濫したときに困るので川幅の変更は絶対にできないと言っていた。川幅の変更ができなければ川の上に蓋をしてコンクリートで固めてしまい、その上を車が通ればいいと考えた。

 

それについては河川課は川に蓋をしたら氾濫したときに被害が大きくなるのでよくないと反対した。予算の関係だろうか要するにまったくやる気がないのである。万策尽きた私は20年の付き合いのある市会議員に相談した。

 

彼はすぐにやって来、話を聞いて現場に行き、暫く眺めていたが「ここは難しいてすねぇ」と一言つぶやいた。やはりそうであろう。難しいから何十年もほったらかしにされているのだろうと思った。しかし難しいからといってこのまま、又ほったらかしにするのは自治会長としてどうも面白くない。

 

市会議員は隣の家の人に「丈夫なガードレールをつけたらお宅の家に車が飛び込むことはなくなると思いますが、ガードレールをつけたら今でも狭い道路がもっと狭くなるので事故がもっと増えるかもしれません。

 

ガードレール分だけでも土地の提供をかんがえてくれませんか? 」といったら横の家の人は悪い顔をして物を言わなくなってしまった。帰り際、市会議員は「自治会長さんあそこはとても難しいです。ちょっと時間を下さい。

 

努力してみますから」といって立ち去った。 半日して市役所の道路課の係長というひとからTELがきた。「現場が見たいから案内してくれませんか」 ということだった。後日道路課の課長補佐という人が家に来たので現場に一緒に行った。

 

道路幅などの寸法を測って課長補佐は市会議員と同じように「いろいろ問題があるようですから時間を下さい」と言って立ち去った。それから2週間くらい経過したある日、かの市会議員が又やってきた。

 

「自治会長さん、よい知らせが有るので今日来ました。市の道路課がいろいろ調査、検討した結果この計画はまな板の上に乗りました。道路課として重要懸案事項としてやるそうです。この計画については廃案などは地元の絶対反対とかの特別な事情が発生しない限りありません。

 

ただかなりの工事になるので大金がかかり赤字財政の岩国市としては、厳しいところですし、いろいろな課に関係するので協力してもらうのにも相当手間がかかります。

 

今の時点ではいつ着工して、いつ完成するのかなどははっきりお答えできませんがこの次の予算計上のときには、この計画を算入しますから待っていてくださればそう遠くないうちに必ず完成するとのことでした」これを聞いた私は心の中で飛び上がって喜んだ。

 

これで私が自治会長をしていたという足跡が残る、、、、、、この地区の人たちも道路がよくなり安全になって事故が減り、交通がスムーズに流れるようになるからきっと喜ぶに違いない。そう思うのは私だけではないと確信したとき「6班の山本さんのおじいちゃんが亡くなったのですぐ行ってください」と玄関で誰かの声がするのが聞こえた。私はもう走り出していた。

 

 

次へ続く

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