コラム

  59    鴨とりごんべえ

開店して二年も経った頃、誘われてお客さんに舟で沖に釣りに連れて行ってもらっていた。冬の海はなんと寒い。でも冬は日本酒が美味いし、メバルなどのおいしい魚が良くつれるので結構面白かったので良く連れて行ってもらっていた。

そしてその内、そのお客さんが「あの舟を買ってくれないか?」ともちかけられたが、管理が面倒な事など考えもせずに「いいよ!」と二つ返事で引き受けてしまった。とうとうボートのオーナーになったのである。大変な出世だ。船長さんになったのだから。

余談だが整備工場のオヤジは小さいボートを持っている人が多い。小さいボートなら交際費などの経費で落とせるからだろうか。それからは日曜日になると毎週のように沖へ釣りに出かけた。

そうこうしているうちに釣り場付近の海上にプカプカと気持ちよさそうに浮かんでいる四千羽とも六千羽ぐらいとも思える鴨たちが、気になりだした。「丸々と太っていて、ネギと一緒に煮たらうまいだろうなぁ」とか鴨を食べたことのない私としては思いはじめてしまった。

と言うのは以前テレビでやっていたのだが、京都に網で鴨を取る鴨取り名人が居て彼がとった鴨は高級料亭にのみ買い取られていき、庶民の口に入る事はないと言っていた。もちろん高級料亭など生まれて一度も行った事などない私としては、鴨肉などは見たこともなければ食べた事などあるわけがない。

ものすごく上品な味で非常に美味いと言うことだった。釣竿で鴨を釣ってやろうと思い何度か試みたが、カモメは警戒心がないので簡単につれるが、鴨は近くによろうとすると飛び立ってしまって近づけさせない。まぁ鳥を釣り針で釣ろうと思うのが最初から無理があるのだが。

まず鉄砲が有ったら簡単に取れるのだがなぁと考え、銃砲店に行って見た。適当な鉄砲が有ったので金を払ってそれを買い、もってかえろうと思って箱に入れたら、鉄砲屋のオヤジはそのまま箱ごとしまいこんで渡してくれない。鉄砲を渡すには免許に合格しなければならないからそれまで預かっておくと言うのである。

見たり触ったりはできるのだがもって帰って使用するには免許をうけてくれという。仕方ないから勉強して銃砲所持許可証とか言うのを警察で貰ってきてようやく鉄砲屋のおやじの所へ行ってその鉄砲を所持できた。「所有する」と言うことは本当はどういうことなのかこのとき始めて理解できた。

車を所有するとか、パソコンを所有することなどとは鉄砲を所有すると言う事とは違うのである。鉄砲を所有すると言う事は大変な事なのだ。まず刑事が人格を調べて鉄砲を持つのにふさわしいかどうかを見る。

防犯課の課長さんがグズグズと色々聞いて調べる。酒をのんだら騒ぐ方か、それとも寝てしまう方か、殴り合いの喧嘩はしたことがあるかなどだ。そして安全とみなしたら免許の受験が許される。

鉄砲所持許可証を貰う時担当刑事にこう言われた。「ヒロミさんは銃をもったら、タイプとしては自殺に使うかもしれない。十分気をつけて扱うように、、、、、、」どうして私が鉄砲で自殺しなければならないのかわからないが彼は長年のカンでそう思ったのだろう。

かくして私は鉄砲を所持した。それからの私は鴨とりゴンベエになりいくらかの鴨を食卓にもって帰った。昔、私が小学生の頃、実家は養鶏場を営んでいた。

鶏が子孫繁栄のために折角産んだ卵を、毎日横取りしては出荷するのも殺生な話であるが、卵を全然産まない鶏は養鶏農家にとって大変な荷物になってしまう為、定期的に処分に回し、そしてそれは家族の食用にされていた。

生活の為だから仕方ないのである。その処分の役目が長男である私のところに時々回ってきていた。そういうわけで鳥を食用にするのは子供の頃からしていたので鴨を取るのもそんなに抵抗はなかった。

鴨が二羽以上取れたときには釣具屋のオヤジに一羽やったりした。彼の話では貰った鴨は生きがいいので鳥小屋に入れて置いたら元気になった。そして三日もしたら餌を食べ出した。

さてこうなると鴨を食べていいものかどうか悩んでしまった。仕方がないから戸を開けて外に放したら大空高く舞い上がって飛んで逃げた。そう言うわけでまだ食べていないのでまた取って来てくれと言った。

一ミリくらいの鉛の玉が体内に入っているのに鴨の回復能力はすごい。さすがシベリヤから飛んできただけあって筋金入りの元気だなぁとか言っていた。しかし自分の子供が段々大きくなりだしたので 色々考えた末、鉄砲はその後何年かして銃砲店に売りに出した。

自殺に使うかもしれない道具は近くにないほうがいいのかもしれないなどとも思ったからだ。買う時は百万円くらいしたが売るときは二十万円しか取ってくれなかった。あんまり安いので文句を言ったら鉄砲みたいなものは誰も買わないので高く買い取れないのだと言われた。

若き日の八方破れというか放蕩無比だった一面である。行き当たりばったりで何も考えなかった、あのころは無茶苦茶だった。そしてなにもかもが夢をみているように面白かった  

 

次へ続く

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