コラム

73   念書

川田君は前から調子のいい男だった。責任を持って確実に約束してもその日が来る頃には忘れていた。悪意があって忘れるのではないが一事が万事、物事をそんなに深く考えないおざっぱな性分なのだ。

だからそのときそのときによって都合が良いようにコロコロと考えも変わるので友人達は皆、彼とは本気で付き合っていない。その事に関しても彼はなんとも思っていない男だった。

事故は日曜の夕方に友人宅にCDを借りに行った帰りに起こった。そのとき彼は酒(ワイン)を大分飲んでいた。友人宅でCDをききながら二人でかなりの量のワインを飲んだのだ。

暗くなったからそろそろ失礼して少しクラクラするが車に乗って帰った。ワインは今まで飲んだことがないのでかなり強い酒だとは聞いていたがなんだかジュースみたいな味なのでキューキューと飲んでしまった。

ワインは目に来るようである。遠くが少しかすんで見えるがアパートは近いから事故はしないだろうと思っていた。それでも警察に捕まったら危ないからと言っていつもは通らない山側の滅多に車が来ない道を通って帰ろうとした。

この道は少し狭いのである。カーブも多いので車はほとんど来ないことを彼は知っているので、すこしスピードを上げて一気に駆け抜けようとした。

しかしその滅多に車が来ない道でもどうしたわけか向こうから対向車がやってきたのだ。川田君はその対向車とカーブで出会い頭に衝突してしまった。

二人の車は前部がかなり壊れたが自力で動きそうなので相手は「このまま警察に行こう」と言い出した。川田君は大分酒を飲んでいる。今警察に行ったら非情にまずい。

酒を飲んで事故を起こしたら免許の取り消しはまぬがれないだろう。彼は相手に言った。「実は免許の点数が残り少ないのです。警察に行ったら取り消しになるかもしれないのです。

あなたの車は僕が全部修理代を出しますからこの場で示談にしてくれませんか?」「示談て言ったってあんたこのくらいの事故なら警察に届けないとまずいだろう?」

「あなたの車の修理代は僕が全部払いますと言っているのですからまずくはないでしょう?」「それはそうだが、、、、、、」「それに警察に行ったら出会い頭の衝突ですから五分五分とかになるんじゃないんですか?

そうなったらあなたは半分ほど自分の車に対して払わなきゃならなくなりますよ」「それもそうだ」「でしょう?だから示談にしてください」「示談示談と言ったって口約束じゃあなあ、、、、、、念書でも書いてくれたのなら別だけどなぁ」

「念書ですかぁ?良いですよ。書きましょう」川田君は車の中にあった雑誌を一枚破って隙間の白い所にスラスラと書き出した。「念書 中村和夫様 平成○年○月○日  海山町で起きた事故は川田三郎が中村和夫様の車の修理代を全額払います 

川田三郎」これだけ書いて相手に渡した。相手はその紙を見ながら少し不安そうだったが余り川田君がしつこく示談を言うものだから諦めた。

川田君が免許の取り消しになっても可哀想だし、第一五分五分にでもなったらばかばかしいことだと思った。二人はそれぞれ凹んだ車に乗って帰っていった。

川田君はアパートに帰ってから車を駐車場にとめてからシゲシゲと車を眺めた。前がかなり凹んでいる。「こりゃぁ大分かかりそうだ、どうしよう」部屋に上がって考えたが何故念書などかいたのか分らない。

飲酒運転だから警察に行ったとしても罰金は来るし免許取り消しにはなるし、相手の修理代を払わないといけないので同じことだ。それにしても何故あのやろうあんな所を通っていたのだろう。

誰も通るわけのない道なのに。ひょっとしてあいつも飲酒運転じゃなかったのかなぁ。僕が酔っていたからずーと下を向いて話をしてたから相手が酒を飲んでいることが分らなかったけどそうだ、きっとそうだ。あいつも呑んでいたんだ。

そのうえで警察に行こうなどとジェスチャーなどしやがって、しまった念書など書くんじゃなかった。川田君は今になってほぞをかんだが後の祭りである。

念書には相手の修理代を全部払うと書いてしまったのだ。彼は頭にきたのでウイスキーを持ってきて飲みだした。ワインを呑んで眼がクラクラしていたが事故で眼がさめた。ウイスキーを少し飲んだら頭がすっきりしたので良く考えた。

あいつの車の修理代は僕が゛払うから良いけど僕の車の修理代は誰が払うのだ?などと思い出した。僕の保険であいつの車を全部払ってやるのだからあいつの保険で僕のを全部払ってくれてもよさそうだ。

そうだあいつの保険で払ってもらおう。川田君は翌朝保険の代理店に電話した。そして彼が考えていたストーリー通りにはことが運ばないことを知った。

代理店は「まず第一に出会い頭の衝突であれば大抵五分五分で止まって待っていたなんていってもせいぜい六部四部ですよ。全部払ってあげるなんてだめです。

止まって待っていたのではないんですから。よしんば全部払ってあげたとしても川田さんあなたの車の修理代を向こうからとれませんよ。五部五部の場合半分払ってあげたら半分払ってもらうのが本当ですから」

「でも全部払ってあげるって念書を書いた」「ええーーじゃ川田さん、あなたの車は全部自腹になりますょ」「やっぱり?」「相手の人に言ってみてごらんなさいょ。僕の車の修理代はどうなるのでしょうかねぇ?ってね」

「それもそうだ。僕の車については何も約束してないからこの事についていってみよう。」彼は電話した。当たり前の事だが相手の中村さんは非情に怒った。しかし川田君はもともとの性格が調子良いので相手の立腹についてはなんとも思わなかった。

彼の心配は自分の車の修理代だけである彼は「あなたの車は僕が全部払ってあげますから僕の車はあなたが全部払ってくださいょ。それであいこでしょう?」「お前の車なんてしらないょ」

「そんなこと言うなら僕もあなたの車なんて知りませんよ」「じゃ念書はどうなるんだ?」「だから言ってるでしょ全部払ってあげますから僕の車、全部払ってくださいって」話し合いは決裂した。

その後保険会社同士の話し合いになったが中々話はつかなかった。念書があったからである。結局川田君の保険で中村さんの車を全部治してあげて川田君は中村さんより十万円程現金を貰って解決した。

中村さんは川田君より少し年上だが温厚な紳士だった。しかし最後まで怒っていた。  

次へ続く


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