コラム

 

 

76  愛

愛情と言うのは種類が多い。国への愛、恋人への愛、夫婦の愛、子供への愛、会社への愛、ペットへの愛、物品への愛、

時間や環境への愛などまで枚挙すればきりがないが元もと愛と言うのは非常に精神的なもので恨みや嫉妬などに隠れていて奥深くて見えにくい。

したがってその存在が測りにくいため相手などから疑われたり量が少ないとか深さが足りないなどと誤解されたりする。

まず国への愛だが 今、中近東や極東アジアでは戦時下に比すほどに緊張している。それぞれの国の幹部は愛国心を厳しく問われている。

間違ったら大事になるからだ。今頃の爆弾には色々な種類があり相手がどれを使用するか分らない。60年前の広島型原爆よりもっと怖いのが沢山ある。

水と空気と土を長期にわたって汚染する爆弾は厄介だ。地下に穴を掘って上等な防空壕をしつらえたとしても爆弾投下後一年間以上、水、空気、太陽光、食料、良好な精神状態などを備蓄できる設備は一般的には考えにくい。

米国やドイツなどで核シェルターと称してそれに対応するものを売ってはいるが輸入して自宅の裏庭に設置するには大変で現実的ではないようだ。

次に恋人への愛だがこの愛が一番激しいように思う。心の振幅が激しい分、愛されている時は良いが裏切りが発覚したら何がおきても仕方がない。

殺されるかもしれない、社会的にも抹殺されるかもしれない。国家愛も平気で死を覚悟できるようだが恋人への愛も燃え上がったらなんでもできるみたいだ。

二人きりなら東尋坊だろうが富士すそ野の樹海だろうが爽やかな気持ちで行けるかも知れないかなと思う。天国に行けるのなら簡単に心中ぐらいは出来そうな気がする。

昨年の死者の数は交通事故より癌より自殺者よりも行き方知れずがダントツに多いと警察庁が発表していた。ホームレスの数はそんなに増えてないというから殆んどは消えてしまったのだろう。

元もと恋と言う字は亦心と書く。要するに心が表裏二つあるということなのだ。そうなると一つの心では本気で愛していても、もう一つは醒めたものがあるということか。

だから恋愛関係というのは壊れやすいのかな?でもこれが最もロマンや夢が溢れていて、小さなことに一喜一憂して楽しいと思うのだが。

他のすべての愛にはめくるめくという表現がぴったりのものはない。夫婦の愛は根底に生活があるからどんなに深く愛しているといっても胸が張り裂けそうにはならないし、切なくて死んでしまいたいとまでは思わないのが普通だ。

愛情が深いほど相手を精神的、経済的に満足させたいと思うわけだから死んで等居れない。夫婦間の愛や子供への愛は代償を求めない所が他の愛と少し違う所だろうか。

特に子供に対してはどこの親も大なり小なり親ばかになり一方的な愛でもそれを当たり前として与え続ける。いくら報われなくても腹も立てずに、自分が親からしてもらったからとか、順番だからとか、義務だからとか考えずに自然に皆そうする。

そうして何代も繰り返されて行く。そしていつのまにか子は親の期待をいつか裏切ってしまっているのが普通なのである。親の期待どうりに育った人など余り見ない。

親はそんなにハイレベルなことを期待してなど居ないのに何がそんなに難かしかったのだろうか?愛社精神の欠落と言うのは困ったもので、やる気のない会社の部下などを叱咤激励するときなどによく口に出して言われる。

愛社精神の不足と言うのは完全に見返りを期待して努力するわけだから会社を愛しているといっても何か寂しいものを感じる。ペットなどへの愛は子供への愛と似てはいるが「這えばたて、立てば歩めの親心」がない分愛情が透きとうっていて分りやすい。

しかしこの愛もペットのほうが愛にこたえてくれないといつ虐待されるかもしれない不安要素を孕んでいる。物品への愛はそれこそ人は色んなものに執着して大切にする。

他人から見ればなんてくだらないと思うようなものでも本人は真剣だ。何かを大切にするというのはいいことだろうけども。

時間を愛するとは何かおかしいようだがわかり易くいうと至福の時間がゆっくりと流れていくのをこよなく好むということだから、このての人は多い。

上等な酒があったり、格別な人が傍に、座っていたりすることだ。将来について熱い議論を戦わせるのが好きな人も居るだろうし、十人十色だ。

どれにしても愛するという事はすばらしい事だ。愛からは色んなものが生まれてくるし、又生まれてきたものも素晴らしい物が多い。

人間何かを熱く愛せなくなったらもうおしまいだから、何か熱くなれるものを持とう“。

お金以外の何かを、、、、、、、。

 

次へ続く

コラム一覧に戻る


Copyright (C) 2001 : sanko jidousya co.,ltd All Rights Reserved.