コラム

77  芸人言葉

芸能界で使用されている言葉はなぜか知らないが漁師言葉が多いみたいだ。漁師の息子や娘が歌手になったのが多いから、と言うのだけが原因ではないらしい。

きっと作詞家や作曲家の先生が漁師町で育ったからではないかと思ったりする。農村よりも港がある漁村の方が哀愁が漂って歌を作るのには適しているような気がするのは私だけだろか。

私が尊敬している人に星野哲朗さんという人がいる。あの先生の歌を全部知っているわけではないので大きな声では言えないが、彼は山口県は岩国沖の大島と言う漁師町で育ったと聞いている。

いまでも有名歌手を何人か引き連れて、たまに帰っていらっしゃるがそのときはすごい人出だ。町中の人が皆集まったかと思えるほどの人数だ。先生のスケールがそれだけでも分かると言うものである

。彼の歌の文句には漁師言葉はそんなに多くは出てこないと思う。彼が若い頃を過ごした大島は、みかんなどの半農半漁なのだが、海は瀬戸内海なのでいつも波はそんなに高くない。

したがって鳥羽一朗さんが歌っているほどの根性もいらない海だし、船もそんなに大きくなくても魚を穫る分には十分だ。

だからあのあたりの漁師さんは大物狙いではなく地道に漁をしている人が多い。その漁師が使う言葉にこんなのがある。

○今取り込み中だ―――釣れた魚を舟に取り込んでいる最中なので他の事にかまってられないほど忙しい。

○取り付く島もない―――嵐で帆が折れてしまった漂流状態のことで、解決の糸口がみえないどうにもならない状態。

○シケ(時化)た奴だ―――漁には行ったが波が高かったので全然魚が釣れなかったのでお金がない様子。

○このアマ!―――海女さんのことでやり手の女性の ことだ。

旅人に行く先を聞いて帰ってくる言葉に「雲の行くまま、風まかせ」と言う答えがあるが街道はそんなに縦横無尽に走ってないので、これも漂流状態を表したものだろう。

「流れ流れて東京は、、、、♪」の流れ者も「明日はどこやら風に聞け♪〜♪」などと住所の定まらない不安定な状態の人だから似たようなものかな。

料亭や小さいホテルなどを転々と変わっていく板前さんを流れ板とか言うが海に浮かんだ一枚の板みたいで木の葉のように行き先や生活が不安定で何か犯罪のにおいがしてどきどきしたりする。

ほかにもあいつはテンプラだから当てにならないとかよく言う。このテンプラは天婦羅とは意味がほんとは少し違う。

天婦羅は鮨などと一緒に江戸時代末期に庶民に流行ったものだが、もともと江戸で開発されたものではない。かみがたにあったものが江戸に流行して行ったのだ。

江戸の人は天婦羅の流行り方が天竺浪人がぷらーとやってきたようだったので縮めてそう言った。ちなみに天竺浪人とは逐電浪人(仕事をほったらかして逃げた武士)をひっくり返したものだ。

芸能界の人はなんでもひっくり返して言う風習があるがこの頃からそうだったのだろうか。車はマルク、かねはネカ、サングラスはグラサン、女はナオンと言うように、、、、

漁師と言えば魚の話になってしまうが、メバルと言う魚は春告魚と書く、鰆は1メートルくらいあるさわらと言う魚で刺身が中々うまい。サンマは秋刀魚だが同じ秋の魚でも鰍は川どじょうだ(ごりとも言う)。

歌の文句に春という字は三人の日と書くというのがあるが、三人とはどういう関係の人たちだろう。私は若夫婦と子供だろうと思うのだがここはやっぱり三角関係かな。

「若いと言う字は苦しい字に似てるわ」という歌があった。ほんとに若いときはいろんなことに苦しんだ。金も運もないし彼女はいないし、酒を飲みすぎては病気になって、たいへんだった。

今頃少し楽になってきたような気がする。人間生きていたら、いつかきっとそのうち、それなりにいい事が有るものだ。信じてがんばろう!

次へ続く

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