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酒バカ 生まれて来たときは体一つ与えられてこの世に出てきたが死ぬときはその体もこの世においていかないといけない。 何の為にそんなにがむしゃらにがんばっているのか?家族の為?自分のため?、、、、、何か違う。大宇宙に操られているのかもしれない。お寺の和尚さんにでも聴いてみようかな。 4年前の正月の一月三日だったが急に猛烈に胃が痛み出した。それまでにも食後には胃がムカムカするので胃薬を飲んでいた。もう三ヶ月位ず―――と呑み続けているのだがいっこうによくならない。 薬が適してないのかもしれないとか思っていろんな種類の薬を飲んだ。しかし全部だめだった。酒が非常に好きで夕御飯の量より多くの酒を飲んでいた。 多く飲むので高い酒から安い酒に変わっていった。最初のうちは6対4くらいに薄めて呑んでいたが、段々物足りなくなって濃くしていった。 しまいには殆んど原液をロックで飲むようになっていた。薄めたらまずいのである。日曜日などは未だ日が高いうちから呑んだ。後から考えれば至極当たり前だった。 あんなに酒をたくさん飲んだら胃が持たないのも無理は無い。時間の問題だった。だからそれはやがてやって来た。一月三日では殆んどの病院はあいてない。 仕方ないので少しはなれた救急指定の大きな病院にかかった。そこでは熱を測ったりしたが出てきたのは強力胃腸薬だった。腹が痛いのに熱を測っても仕方ない様な気がしたがそれが医者の指示だった。 胃が痛くて御飯が食べられない。ジュースを飲んでみたがそれも吐き出した。もう、のた打ち回り転げ廻るほどに胃が痛い。どうにもならないので又先ほどの病院にいった。 そうしたら又、看護婦さんが体温計を持ってくるではないか。「先生、微熱あります」「そうか、やっぱりな、すぐ入院手続きをしょう」私は入院した。 病名は膵臓炎。こんなに痛い病気は今までおめにかかったことはない。本当に死にそうなほど痛いのである。看護婦さんに言って痛み止めの麻薬注射を30分毎にお尻に打って貰うのだが10分もしないうちにすぐに薬は切れて猛烈な痛みがおそってくるのである。 泣き泣き注射をせがんでも「これ以上打ったら頭がおかしくなってしまいます」ということだった。三日三晩もそんな状態が続いた。 薬の副作用か幻覚症状がひどかった。夜中にトイレにいったら帰りは景色が変わっていて自分の部屋に帰れなかったり、殺し屋がやってくると本気で思って、殺される―とわめいたり、もう大変だった。 15日も寝ていたら体も心も少し安定してきた。周囲をみるとそこは4人部屋だった。私の前に寝ている若い人は大学生だった。連日の一気呑みのコンパの為のC型肝炎だそうで、彼はもう一生酒は飲めない。 となりのひとは朝からの激飲のせいでC型肝炎になり腹に水が溜まるらしく出産真近の妊婦みたいに腹がパンパンだった。他の一人は連日連夜の忘年会が耐え切れずに十二指腸が溶けているということだった。 全員酒の飲みすぎで来た人ばかりだった。十二指腸の人は書道の先生だった。少し回復したごろ私に色紙をくれた。それには「為せばなる、為さねばならぬ何事も、成らぬは人のなさぬなりけり」と書いてあった。 この部屋にいる全員が医者からきつく今後の酒を止められていたからきっと断酒の事だろうと容易に推測できた。酒好きが酒をやめるのは三度の飯をやめるより辛い。そういう分けで性根をすえて取り組めという意味だったのだろう。 私自身も酒をやめる為に考えた結果、断酒マニュアルなどと言うものを作った。恥ずかしいがここに披露する。役に立つと思うなら無断でもいいから利用して欲しい。 断酒マニュアル ○自分の酒は一生分全部呑んだので、もう残っていないと認識する ○膵臓は消耗するばかりで完治しない臓器であることを忘れない ○このまま呑み続けていたら間もなく死ぬと知る ○すべての人に私は膵臓炎だから酒を飲んだら死ぬんだと言いふらす ○岩国断酒会などの会に所属して先輩の言を聞く ○酒の席にはどんな大事な話でも参加しない ○酒飲みの友達とは絶交する ○家に酒を置かない。酒のあるとこへは行かない ○松厳寺の和尚に諸行無常の話を月一回聞く ○早寝早起きに勤める ○写経をし料理をして未来を作る ○家族に断酒の協力を得る(今までは自分のために生きてきたがこれからは家族のために生きると宣言する) ◎以上全能の神の命令と承知して断固実行する(主治医の言葉) 文としてはこれだけのものであったのだが婦長がやってきてコピーをとって行った。又婦長はこんな事も言っていた。ひろみさんは主人と同い年だから言わせてもらうのだけど 団塊の世代は何か見返りがないとやる気が出ないみたいだから作物でも作って販売したらどう?、そして奥さんを連れて魚釣りに行きなさいよ、とか言っていた。 現在、マニュアルにしても婦長の言葉にしてもなかなか守られていないのが現実だ。しかし酒は4年間ぴったしやめた。その間友達や仲間などに迷惑をかけた。 もう4年経ったから今頃日曜の夜だけは少しのんでいる。まだ私が飲む酒が残っていたとは嬉しいようなこそばゆいような変な気分である。未だ死ぬわけには行かないので酒とは一線をおいて付き合って行きたいと思っている 膵臓炎では処方箋としては薬がまったくないのだ。あのときの主治医は「ひろみさん、貴方は三回はいいけど四回目に来たときはは自分で歩いては帰れませんよ」と言っていたのが今もはっきり思い出す。 又婦長はこう言った「膵臓の人はいくら言っても聞かない。三ヶ月以内に70パーセントが帰ってくるし20パーセントの人は半年以内に来る、二度と来ないのは10パーセントしかいないんですよ。 でもこの10パーセントの中でも完全に酒をやめた人とここ |
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に来れなかった人に分かれる( | 南無阿弥陀仏)本当 | |||
に治った人はごくわずかしかいないでしょうね」 私はどういうわけか運良く二人にこういう話を聞かされたので酒をやめる事が出来た。この前健康診断で他の病院に掛かったが膵臓も肝臓も異常は無いといわれた。 喜んだのは私より女房の方だった。酒をやめたらすごい体の調子がよくなった。日曜日の夜に呑んだら月曜は調子が悪い。それでもやっぱり日曜日が待ちどうしい。 世の中何がありがたいかって健康ほどありがたいものはない。ほんとにほんとにそう思っている、、、、、、、、、 |
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