コラム

   

989  夜の蝶W

ウイークデーは会社の人たちと近くの焼き鳥屋に行くのだが土曜日の夜だけは決まって妙さんのいるスナックバーに一人で行っていた。飲み屋と言っても明かりが多くついていてとても明るい感じのスナックだったので会社帰りの女性客もよく来ていた。

店内では妙さんと僕の関係はみんなの良く知る所となっていたので妙さんは僕にカウンター越しによく話しかけてきた。しかし僕は元来が無口なのであまり喋らない。だから関係といっても特にべたべたした関係ではなくいつも妙さんがぺちゃくちゃと話しているのを僕が聞いているという感じだった。その日もたいしたことは話していなかった。

お客が少なかったのでぼくの隣りにすわって一緒に飲みながら「ひろみちゃん、私明日ひまなのよ、どっかに連れて行ってくれない?」「僕は休みだからいいけどどこか行きたいところでもあるの?」「ううん、そうじゃないけどね、明日はアパートにいたらうるさいおじいちゃんに捕まりそうなのよ。だから朝から居たくないのよね」

「ふうん、そう言うことなのか、色々大変なんだ、、、、」「私がその気にさせ過ぎちゃったみたい、こうまで成るとは思わなかったんだけどねぇ」「仕掛けたのが妙さんじゃ自分で責任とらなきゃしかたないだろ?」「嫌よ!そこまでしてたらきりがないもの、この仕事にはそういうことはつきものだから仕方ないのよ。

後の始末はママに任せるわ」妙さんはお店ではナンバー2の美人だったから彼女に対して熱くなるお客はたくさんいた。ホステスとしては熱くなってお店に足しげく通ってもらわないと売上は上がらないし、かといって熱くなりすぎて、しつこく絡まれてもこまるというはざまで難しい綱渡りをいつもしていた。

特にお客をたくさん連れてくる中年が熱くなると振り切るのが大変だとも言っていた。そんなことを二人で話しているのだからいつまでたっても僕たちの恋は燃え上がらない。しかし、はた目には愛を語り合っている恋人同士と見えているらしかった。

「妙さん!明日は山に登らないか、いい山があるんだよ」「山?暑くてしんどくて大変じゃないの?」「頂上は見晴らしがいいし風が吹いていて涼しい、途中は森だからひんやりしている。七合目から九合目まではつらいけどそれが頂上を征服したときの喜びに変わるんだ。たまにはいいものだよ山も」

「そんなに言うならいけるとこまで言ってみようか、連れて行ってくれる?」「何時に迎えに行こう?」「山なら朝早いほうがいいのかしらね、8時はどう?」「8時だね、起きてろよ」「大丈夫よ、楽しみにしているからね」翌朝僕は8時ちょっと前に妙さんのアパートの前に着いた。

チャイムを押してから前にある川の土手に座ってタバコに火をつけたとき妙さんは出てきた。長い髪をなびかせていたから後ろにゴムひもでくくるように言った。山中で髪が木の枝に絡むのを防ぐ為だった。コンビニでお茶やおむすび等を買って一時間半かかる山に向かった。

到着したら山のふもとに車を置いて歩き出した。妙さんの靴はスニーカーだが小さくて足が痛いというのでゆっくりと登った。ゆっくり登るとどうしても御互いに話かけることが多くなる。「妙さん、お店いつ辞めるんだよ」「生活があるから辞められないよ」「はやくカタギになってくれないとどんどん遠くに行ってしまうみたいで不安だよ」

「社長さんやお医者さんに取り入って仲良くしてる事をやっかんでるのね?」「違うといったらうそになるけどなんだか汚れていくみたいで見ているのがつらいんだ」先に登っていた妙さんが立ち止まり、振り返って僕の目をしばらく見つめた。そして「ばかねぇ」といって又前を向いてゆっくり歩き出した。

歳はひとつしか違わないけど妙さんはいつも姉さんぶっていた。でも時々「ひろみちゃん、誰も私を貰ってくれなかったらあんた、私をもらってよ」とよく言っていた。そして又「いつまで待たせるのよ、私、おばぁちゃんになっちゃうじゃないのよ」とかいったりもした。

しかし僕としては誰も貰ってくれなくなった妙さんよりも、もてすぎて困っている今の妙さんの方が好きなんだけど、、、、とか思うのは男のエゴかなって自分自身で思った。それを彼女が感じたかどうかはわからない。きっと感じていないだろう。それほど敏感な人ではないから。

「僕は妙さんの若いときだけ欲しいわけじゃないよ。セックスだけが目的ではないからね」って言ったら妙さんは口では、にやっと笑っていたが目は寂しそうだった。山を半分くらい登った頃から傾斜がきつくなってきた。妙さんが又、足を痛がり出したので今度は僕が前に立って枯れ木で妙さんを引っ張って登った。

妙さんは黙ってついてきていたが少し辛そうだった。七合目くらいで休んだ。すわってお茶をラッパのみで回して飲んだ。妙さんはお店の外、とくに僕といる時には化粧はいつも殆んどしていないからペットボトルに口紅はつかない。なぜ化粧をしないのか女の心は女唐変木の僕にはよく分からない。

すこし自分の顔に自信があるのだろう。妙さんは美人で色白だったから嬉しそうな顔をしているだけで化粧以上の効果があるのを自分でしっていた。八合目や九合目は妙さんは辛そうだった。ハンカチで額を拭きながらのぼっていった。時間はかかったが頂上についた時「わぁきもちいい」といって手を広げた。

頂上は大きな一枚岩があってその上が平らになっている。盆栽の様になった栄養状態の悪い赤松が岩の割れ目にくっついている。「涼しいだろ?」「うん」「すばらしい展望だからここで軽く昼飯にしよう」二人でお茶を飲みおむすびを食べてふざけあったり、写真なんかとったりしていると一時間ぐらいすぐにたって下界のことなどすっかり忘れて遊んでいた。

ずっと下を見たらお寺のようなつくりの建物があった。「ひろみちゃん、あれはなにかしらねぇ」「あれはお寺だよ、後で行ってみよう」「行くって、なにかあるの?」「お寺の裏の岩から湧き出る清水でそうめん流しをやっているんだ。冷たくておいしいよ」「岩清水でそうめん?」「行ってみたくなっただろう?」「うん」「じゃあ山を下りていこう」

妙さんは下りは登りよりももっと足が痛いといったのでハンカチで足の指を巻いて歩いた。少しは楽なようだった。ゆっくり下りたのでかなり時間がかかった。お寺に申し込んでそうめん流しをしてもらった。お客が他にも一組いたがわぁわぁきゃぁきゃあとよく騒ぐお客だった。

僕たちは静かにそうめんをすくった。「おいしいね」「うん、冷たくて気持ちいい」。妙さんは喜んでいるようだった。満腹になったので境内に座って静寂のなかに蝉の声を聞いていた。うっそうと茂った巨木はあたりをひんやりとさせる。隣りに座っていた妙さんが寄りかかってきた。

「どうしたんだい?」「ううん、優しくしてくれたからすこし感傷的に成っただけよ」「まだ日が高いよ」「でもここ、お寺だもん」「それでセンチメンタルになったのか、なるほど」「女の気持ちなんか全然分かっちゃいないんだから、、、、、」「ごめん、、」

大きな楠の木から聞こえてくる蝉の声は僕の心を激しくかき乱したがいつものように何事もないように僕は振舞った。人を愛したら男は辛抱するものだと思っていた。そんな考え方に問題があったのか妙さんのことは本気で愛していたのだがとうとう最後まで結ばれなかった。

友人が言っていたように早めに既成事実を作って居ればよかったのかもしれない。僕の人生はこの頃が1番かがやいていた

次へ続く

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